ヨーロッパのオーガニックコスメ事情を伝えるにあたって【プロローグ】

ヨーロッパのオーガニック事情

インソーレのオーナー、阿部です。インソーレは、この8月で創業から12年目に入ります。さらに、私がオーガニックコスメに関わりをもつようになって足掛け17年。ミレニアムに誕生した赤ちゃんが高校生になり、もう選挙権を持とうか、という年齢となります。

振り返って、ではオーガニック、ナチュラルコスメは日本でどのように成長したのでしょうか? ここ数年、ライフスタイルにはエコロジーやナチュラルの方向性が少し見えてきた気がいたしますが、コスメの成長は遅々として進まず、というのが実情です。

インソーレの公式HPを刷新するにあたり、私がこの商品たちをご紹介し続けている意味や先進的に進歩し続けるヨーロッパのビオやナチュラルの『今』を少しずつ発信していきたいと思います。

街に根づくドイツの自然食品や予防医療

ヨーロッパのオーガニック事情

今から半世紀以上昔、13歳の私は西ドイツ(当時)で初めての海外生活を送ることになりました。1965年、東京が前年のオリンピックを成功させて日本は高度経済成長期の真っただ中。父が赴任したデュッセルドルフには、すでに多くの日本の会社が支社や事務所を構えておりました。

当時中学生になったばかりの私のヨーロッパでの生活は、未知なる刺激が違和感なく身体になじみとても楽しいものでした。これは不思議な感覚で時を経たいまでも変わることがありません。

当時の日本ではまだ数少ないスーパーマーケット方式の店舗、イタリア人の経営するジェラート屋、ヨーロッパ中から仕入れた色とりどりの野菜を量り売りするおしゃれな八百屋、そして活気ある旧市街地に軒を並べる魚屋。すべての記憶がいきいきと蘇ります。日本もドイツも戦後の復興からわずか20年。人間の力、蘇生力そして団結力のベクトルがすべて一方向に向かった尊い時代だったのかもしれません。

長い間、日本でも医学を志す学生の必須はドイツ語でした。ドイツは医学、薬学では世界の一歩先を歩いていました。ただ一方、薬草学や本草学など化学薬品に頼らない自然療法による予防医療の確立も早く、当時から町の『Reformhaus』などにはごく普通に様々な代替医療の薬品や自然食品などが並んでいました。

ミュンヘンで体感した”オーガニックの心地よさ”

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1978年、私はまたしても南ドイツのミュンヘンで数年を過ごすことになります。中学生で過ごした時期から十数年後、この間ドイツ人の自然派への傾倒はさらに急カーブを描いていました。医学を志す若者は東洋の針治療や、薬草学をも同時に学び代替医療を診療に取り入れる開業医もとても増える傾向にありました。

時まさにウーマンリブ全盛の時代、日本の女子大生とは真逆の化粧っ気のない健康的な肌にアフガンショール、長い金髪を束ねただけの女子学生が生き生きと美しく眩しかったのを思い出します。ひと夏を過ごした友人のWohngemeinschaft(ヴォーンゲマインシャフト―今でいう学生たちのシェアハウス)でふるまわれたヨーグルトミューズリーや無農薬のお茶、自然を大切に、時間を愛おしむ生活のあり方に触れました。

11年前、自分で輸入販売の会社を立ち上げた時の思いは決して大げさなものではなく、私が長い間心に秘めていたとても心地よい自然とのかかわり方を一人でも多くの方に知っていただきたいと思ったからです。ドイツ語で言う大好きな単語『angenehm‐アンゲネーム』(気持ちがいい、こころよい)な感覚を生活の一部に取り入れることが健やかさにつながると信じています。



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ABOUTこの記事をかいた人

阿部庸子

株式会社インソーレ代表取締役。イタリアのガーデンで慈しみ育てたハーブを使った「INSOLEフラワーオイル」「インソーレバーム」などを販売。ヨーロッパのBio(ビオ)やオーガニックの“今”を少しずつ発信しています。